エラ通信のチラシの裏

アクセスカウンタ

zoom RSS 【皇国の守護者】史実版

<<   作成日時 : 2009/05/04 09:53   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 3 / コメント 0

画像

最初にも申しましたとおり、私のボロパソコンが限界を迎えつつあり、新しいパソコンを買える財力もないので、
中に溜めていたデータをまとめて世間に放流しています。そして、私がアクセスしなくなったとき、
それが今、アップしているデータの終り、消滅になると思います。

で、上記の『皇国の守護者』 書かれた方は佐藤大輔さんですが、史実としてここに書かれたような、
遅滞戦術によって日本への侵攻を食い止めた勇士たちは存在します。以下HN 摩耶さんの投稿記録抜粋。
【転載許可はいただいております】
46 :ε(*´・ω・)з*摩耶*ε(・ω・`*)з ◆GG/iTdNb3w :2006/11/20(月) 23:46:16 ID:DTr04ux8
 1946(昭和21)年8月16日、終戦の日の翌日、スターリンは米大統領トルーマンに対して、釧路市と留萌市を結ぶ線以北の北海道の北半分に対して、ソ連側の占領を認めるよう要求を送った。

 同年2月11日に、米英ソの指導者が結んだヤルタ協定では、 樺太の南半分と千島列島がソ連に引き渡されるよう決められていたが、これをさらに北海道北半分にまで拡げよというのがスターリンの新たな要求だった。樺太、千島列島、北海道北半分をソ連圏内に収めてしまえば、オホーツク海はソ連の内海となり、太平洋への出口も自由になる。 このスターリンの野望により、終戦後も激しい日ソ間の戦いが樺太と千島で展開されることになった。

48 :ε(*´・ω・)з*摩耶*ε(・ω・`*)з ◆GG/iTdNb3w :2006/11/20(月) 23:47:30 ID:DTr04ux8
 終戦の日のわずか1週間前のモスクワ時間8月8日午後11時、ソ連は佐藤駐ソ大使に対して宣戦布告文を手渡し、その一時間後に攻撃を開始した。翌46年4月まで有効であった日本との中立条約を一方的に破棄し、さらにソ連に和平仲介を依頼していた日本政府に対して、宣戦が布告されたのである。樺太でも早速9日朝から、国境線を超えてソ連軍の散発的な砲撃と、小部隊の越境偵察が始まった。

 樺太はもともと日露混住の地であったが、明治8(1875)年の樺太・千島交換条約により、樺太はすべてロシア領、千島列島はすべてが日本領となった。明治38(1905)年の日露戦争の勝利の結果、北緯50度以南の南樺太が日本に割譲された[a]。 南樺太の面積は四国の約2倍にあたり、終戦時の人口は季節労働者を含めて約40万人であった。

 南樺太への本格的な侵攻は10日から始まった。戦車95両、航空機100機を持つ第56狙撃軍団が、国境近くの小集落・半田を攻撃し始めた。ここでは陸軍2個小隊と国境警察隊の約100名の兵力が防戦し、大半が戦死したが、ソ連軍主力を一昼夜にわたって食い止めて、ソ連軍には大きな衝撃を、日本全軍には異様な感激を与えた。  半田を落とした後、ソ連軍は国境から10キロほどの日本軍の主防御地帯への攻撃を開始したが、日本の歩兵第125連隊約3千人が森林や山岳を利用した永久陣地にこもって頑強な抵抗を示し、ソ連軍に足踏み状態を続けさせた。その間に老幼婦女子を列車で南に避難させ、なおかつ主要な鉄橋を次々と爆破して、自らの全滅を賭してもソ連軍南下を防ごうとした。

 15日正午、ポツダム宣言受諾に伴い、天皇の終戦に関する「玉音放送」が行われた。国境沿いで戦闘中のため連絡のとれない第125連隊にも、18日にようやく戦闘停止の師団命令が伝達され、連隊は武器をソ連軍に引き渡した。これまでの戦闘による被害は日本側死者568名、ソ連側死者約1千名、戦車数十両破壊と推定されている。  日本側は邦人保護のため、ソ連軍に現地で留まるよう要請したが、ソ連側は傲然と拒否して、南下を続けた。
52 :ε(*´・ω・)з*摩耶*ε(・ω・`*)з ◆GG/iTdNb3w :2006/11/20(月) 23:49:19 ID:DTr04ux8
 堤第91師団長は、優勢な師団主力を占守島北部に集中して、一挙にソ連軍を水際に撃滅するという決心をし、準備を始めた。 しかし、それを知った方面軍参謀長から、18日16時までに戦闘行動停止の命令が来た。日本軍は軍使の長島大尉一行をソ連軍に送ったが、射撃されて死傷者続出し、長島大尉も単身敵中に潜入して行方が分からなくなった。日本側が反撃行動を停止しても、ソ連軍は攻撃を続行してきた。

 19日朝、再度の軍使が送られ、午後正式な停戦交渉が始まった。何度かいざこざがあった後、21日に正式な降伏文書の調印が行われた。一日で占守島全島を占領し、急いで千島列島を南下しようというソ連軍の計画は、日本軍の抵抗により大きく狂ってしまった。

 ソ連側の記録によると、日本軍の死傷者は1,018名、ソ連側は1,567名であった。イズヴェスチャ紙は「占守島の戦いは、満州、朝鮮における戦闘よりはるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連の悲しみの日である」と述べてた。激戦の行われた四峰山では、戦後、戦没者の記念碑が建てられた。
55 :ε(*´・ω・)з*摩耶*ε(・ω・`*)з ◆GG/iTdNb3w :2006/11/20(月) 23:50:25 ID:DTr04ux8
 トルーマンからは北海道北部のソ連占領を認めないという返事が18日に届いたが、スターリンはすぐには応えず、ワシレフスキー元帥は、8月25日までに樺太全島と千島列島の北部諸島、9月1日までには千島列島の南部諸島と北海道北半分を占領するよう命令を出した。

 占守島への強襲上陸が始まったのが18日早暁、真岡侵攻が20日早朝と、ソ連軍はトルーマンの回答を無視して、8月28日に予定されていた降伏文書正式調印(実際には9月2日に延期された)までに、北海道北部占領を既成事実化してしまう事を狙っていた。

 22日には、ソ連軍が上陸を予定していた留萌沖で、樺太からの引き揚げ民を満載した日本船3隻を潜水艦で攻撃した。うち2隻は雷撃により沈没。1隻は海軍の特設砲艦で、雷撃により船尾を破壊されたが、浮上した潜水艦と砲撃を交わして、なんとか留萌港にたどり着いた。この攻撃により民間人約1700名の死者が出た。
 22日になって、ようやくスターリンはトルーマンあてに北海道占領を断念する旨の回答を送り、ワシレフスキー元帥は「連合国との間に紛争や誤解が生じるのを避けるために、北海道方面に一切の艦艇、飛行機を派遣することを絶対的に禁止する」という電報を打った。

 22日は、千島列島北端の占守島の日本軍との間で降伏文書の調印が行われた翌日で、それ以南の諸島はほとんどが手つかずの状態であり、また樺太では真岡近郊での戦闘の最中であった。日本軍の頑強な抵抗により、ソ連としては樺太と千島列島の占領を優先するためには、もはや北海道をあきらめざるをえない状況に追い込まれたのである。

57 :ε(*´・ω・)з*摩耶*ε(・ω・`*)з ◆GG/iTdNb3w :2006/11/20(月) 23:51:25 ID:DTr04ux8
 24日早朝、アリモフ少将が戦車隊を従えて、豊原に到着し、日本軍の施設をすべて接収し、樺太庁の行政も停止させた。これにて樺太の占領は完了した。 千島列島に関しては、24日以降、順次、日本軍将校を同船させて小型艦艇数隻からなる偵察部隊が南下し、各島で日本軍の降伏を受け入れながら占領を続けていった。
 択捉、国後については、当初は「アメリカ軍がやってくるはずだから我々は手をつけずにかえるのだ」と言って、上陸しなかった。この二島はかつてロシア領になった事はなく、日本固有の領土であった。したがって、ヤルタ協定でソ連に「手渡される」ことになっていた千島列島にこの2島が入っておらず、日本本土の一部として、アメリカ軍の占領地域に入っていたと解釈されても不思議はなかった。
 しかし、アメリカ軍が来ていないと知ると、ソ連軍は8月28日に択捉島に、9月1日に国後島に上陸した。さらに千島列島に含まれず北海道根室半島の延長である歯舞諸島、色丹島にも、ソ連軍はそれぞれ9月1日、4日に占領した。歯舞諸島占領が行われた9月4日は、降伏文書正式調印の二日後である。樺太および、千島の戦いでは、日本軍将兵約3千名、民間人約3700名の命が奪われた。このほとんどが8月15日の終戦以降のソ連軍侵攻によるものである。さらに捕虜にされた樺太約1万8千名、千島約5万名の日本軍将兵は本土に帰ると騙されて、シベリアなどに送られた。  スターリンは14日の時点では捕虜のソ連領移送は行わないと言っていたのだが、北海道占領を断念したとトルーマンに回答した21日の翌日、日本軍捕虜50万人のシベリア移送の極秘命令を出している。ロシアの研究者の多くが、これは北海道占領断念の代償だったとしている。
 もし、樺太、千島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、北海道北部はソ連に占領されていた可能性がある。そうであれば満州や樺太で起きた民間人虐殺が北海道でも繰り返されただろう。そして、北海道北部は北朝鮮や東ドイツのように共産主義独裁政権が支配していたであろう。樺太と千島の防衛に一命を捧げた日本軍将兵3700人と、その後のシベリア抑留に苦しんだ約7万の将兵に心からの追悼と感謝を意を捧げたい。

以上引用終了。
ところで、民主党が提案した以下の法案がどうなったか、どなたか知りませんか?

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209911854/l50
【政治】民主党 シベリア抑留者のための特措法案提出へ

ところで、このブログに関する評価ですが、現在、ブログランキングの評価はこの前ページ【朝鮮民族の人権享有主体適格性についての疑義の提起】の評価解析に利用しています。
そこで申し訳ないのですが、【このページだけを評価する】という方は、以下の評価玉で評価を。
前ページも両方評価する、という方のみ、前ページにあるブログランキングをクリックしていただけないでしょうか?
お手数ですが、この形でお願いいたします。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 15
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ナイス ナイス ナイス

トラックバック(3件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
推論 <ハンセン病患者問題の全容と、朝鮮カルト創価学会公明党による政権内部からの反国家策動>】抜粋
渡辺亮氏が貴ブログ肝臓(レバ)☆ガチャで、かつての私のカキコミを取り上げてくださったので、この問題について さらに深く考察し、推論にまで練り上げた情報を提供いたします。興味をもたれた方は、それぞれ自分で調べてみてください。 ...続きを見る
エラ通信のチラシの裏
2009/05/11 00:07
皇国の守護者 史実版 大陸編
以前紹介しました皇国の守護者 史実版は北海道と北方四島、樺太での話でしたが、こちらは大陸における皇国の守護者 史実版です。 ...続きを見る
エラ通信のチラシの裏
2009/05/12 21:20
エラ通信用 管理ページ 001〜099まで【編集中】
ブログのページが膨大になってきたので、管理ページを設置いたします。エラ通信専用ではありますが、他の方がご利用になられてもかまいません。有効にご利用ください ...続きを見る
エラ通信のチラシの裏
2009/05/20 15:29

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

エラ通信からのメッセージ

完全にヤバイ!韓国経済
彩図社
三橋 貴明
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ
【皇国の守護者】史実版 エラ通信のチラシの裏/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる