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http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1258942039/-100 在日コリアン 差別された 苦労した 迫害受けたの妄想文を箕面市に贈呈 【在日・差別】箕面市の有志が人権教育テキスト発刊。内容は、架空の在日朝鮮・韓国人一家を題材にした作品[091123] 1 :どす狼こい喫茶-ジュテーム-φ ★:2009/11/23(月) 11:07:19 ID:??? ?BRZ(10888) 箕面市の有志が人権教育テキスト発刊 2009年11月23日 箕面市の有志が編集した、人権教育テキスト 「ある在日コリアン家族の物語 つないで、手と心と思い−絵と物語で読む在日100年史−」(アットワークス刊)がこのほど発刊された。 同時に教材として市へ230冊余りが寄贈され、代表者の※解子さん(53)は市に対して 「箕面発、世界に向けての本が出ましたと言ってほしい」と要望し、人権学習の副読本として多民族・多文化理解の一助となることを願っている。 http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/091123/images/IP091119TAN000192000.jpg 贈呈式で倉田哲郎市長(右から2人目)に書籍を寄贈する、 〓(88f5)さん(中央)、藤井さん(左端)ら=5日午前、箕面市西小路の箕面市役所 編著は「セッパラムプロジェクト」。 基幹となっているのは、1993年に同市で始まった、朝鮮半島の文化をテーマにした祭典「みのおセッパラム」。 催しは2001年まで続き、今回はその流れをくむ有志が編集にこぎ着けた。 内容は、架空の在日朝鮮・韓国人一家を題材に、日本による植民地支配や大戦後の混乱期など歴史的背景が描かれている。 在日3世に当たる主人公が夏休みの宿題として与えられた作文で、朝鮮王朝で役人を務めた家系に生まれたという祖父から 日本へ渡った経緯について知る−という設定。 神戸女学院大講師で、編集に携わった藤井幸之助さん(48)は「重いテーマになりがちだが、明るい感じで描きたかった」と振り返る。 ページごとに入る挿絵のほか、家計図や年表、関連する映画などのリストも理解を助けている。 また、全文に韓国語の対訳が付いており、語学学習のテキストとしても期待される。 本年度の同市NPO補助金の対象となっており、市へ「お返し」(藤井さん)した形。 在日2世に当たる※さんは「まずは同和、障害者、定住外国人といった基本の問題を知ってもらうことから始めなければと思った。 箕面だけでなく、近郊でもぜひ活用してほしい」と呼び掛ける。 一方、藤井さんは「人とかかわりを持つことが良いまちづくりにつながる。これは在日朝鮮人に限った話ではなく、 子どもたちに自分自身のルーツを知るきっかけにしてほしい」と話している。 寄贈された書籍は、市内の幼稚園や小中学校、市立の各図書館のほか、市教育センターを通じて必要に応じて配布される。 ※はナベブタに裴 http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/091123/20091123020.html 大阪 箕面市は、日本国内でも在日コリアンの反社会運動・反日運動がもっとも激しい地域です。以前にも以下のような事例が起こっております。 市議会をあげての歴史捏造 http://era-tsushin.at.webry.info/200906/article_73.html 【慰安婦問題】「政府は公式謝罪し、歴史教育で慰安婦問題伝えろ」 箕面市に続き三鷹市と小金井市も、地方議会で決議相次ぐ090629 1 :イカ即売会φ ★:2009/06/29(月) 01:46:27 ID:???0 大阪・箕面市に続き、東京の三鷹市議会で6月23日、小金井市議会で6月24日に、「慰安婦」問題解決のための意見書が採択されました。 国家の無防備化・解体・殲滅を目指す有害市民団体の活動拠点 http://era-tsushin.at.webry.info/200905/article_74.html 無防備都市運動 全国版【手持ち資料のみご容赦】 大阪箕面市 http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1171532941/l50 【社会】 「市民の思い受けとめ」 “占領OK”の無防備宣言入り「平和のまち条例」、市長が賛成→提案へ…大阪・箕面 多分、上記を見ただけでは、“エラ通信は差別主義者のレイシストだ”で、思考停止してしまう方もおられると思いますので、在日一世による当時の証言も掲載しておきます。 http://megalodon.jp/?url=http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi/060911/index.html&date=20070422210408 在日一世の記憶 俺たちもそのときは何がなんでも「朝鮮に帰ろう」「武装して帰ろう」ということで。そのとき金のあるものはみんな出し合ったもんですよ。そのときすっからかんになってね、金出してみんなやったから。俺たちは(旧日本)軍の倉庫に行って武器だとか機関銃だとかというものを積んできて、格好は日本軍のもので、みんな完全に武装して訓練さして、そして帰ろうという精神でやった。 そのとき上海地区には日本の軍隊に入ってた人間もみんな集まってきてた。三〇〇〇人ぐらい。日本軍から帰ってきた兵隊たちをみんな入れてね、服を着替えさせ、武装させて毎朝上海市内で運動をやる、それを半年ぐらいやったかな。 今までの人生を振り返って一番楽しかったのはね、楽しくでダメじゃったけど、その思いを忘れられないことというのは、終戦になって日本軍がもう何もできないとき、俺たちは羽根伸ばしていくらでも活動できたことだよ。軍の倉庫入ってね、物資や武器を調達して大きな学校の庭に機関銃だとか、そういうものみんな持ってきて積んで、俺たちはみんな武装して行くんだと、こういう勢いのときが一番よかったね。そういう時代があったよ。 解放されて、本当面白かったよ。 http://mirror.jijisama.org/rekisi2.htm#hikiage 南朝鮮版 抜粋 (米軍進駐後、筆者の勤める京城日報社は米軍の管理下に置かれることになった) 米軍政府は間もなく朝鮮人李相哲を管理人に指名した。江原道で鉱山の仕事をしていた 李にこうした任務を与えたのは、米軍政長官の側近にいる知り合いの旧宣教師が 斡旋したからであると言われた。「あなた方は、運悪く、とんでもない悪党に、管理されることになりましたね」と李の甥にあたる、毎日申報幹部が私たちに同情した。 (中略)当時の米軍政庁は、英語さえできれば、どんな朝鮮人でも重用し、 一々その言うことに従った。 一般の朝鮮人はそれを「通訳政治」だといってあざ笑った。英語を話したり、米軍に好意を寄せるものは、たいてい極端な反日家である。これらの人々は、何事につけ、 日本人を極悪非道の人間に印象づけようとし、朝鮮にある日本人の財産は全て 搾取し略奪したものであると言い続けたのである。 米軍の保護は、少しも日本人には及ばなかった。日本人がどんな被害を受けても、それを取り調べようともしない。言葉という不自由な障壁があるせいもあるが、 どこまでも日鮮双方の争いに割り込みたくないという態度である。目の前で行なわれる 暴力沙汰は一応抑えるが、「いま、強盗が入ったから… 」と、MP(米軍憲兵)の駐在所に訴えても、駈けつけてくれはしない。知ってか知らずか、 家を強奪しようとする朝鮮人に同行している 米軍大尉もあった。U総務局長の建てたばかりの住宅を、タダで引き渡せといってきた 朝鮮人があったが、米軍大尉は、その男の横に腰をかけて時々、英語で話しかける その男の言葉に耳を傾けた。Uは、 「どういうわけで、私があなたに私の家を提供しなければならないのか」となじると、 「まあ、僕に見つかったのが災難と思って、あっさり渡すことですナ」と言って、 また米軍大尉に耳打ちするのであった。「日本人は、無警察の国というより、強盗国のまん中に、 座っているようだね」と私たちは語り合った。1日1日、昼でも、街のひとり歩きが危ぶまれだした。 李管理人は、1年前からの伝票を取り出して一々収支を調べさせ備え付けの写真機などの比較的値段の高いものはもちろん、1冊の書物、紙片1枚に至るまで猜疑の目を光らして点検した。 足りないと思うものについては一々弁償を要求した。私ども社長、副社長に対する解散手当ても 前年度の賞与も不当であるといって返還を迫った。日本人社員が引揚げ後、生活の道を得るまで、 補助機関として設けた京日互助会の基金50万円も取上げてしまった。私はそれをよこせという 要求を受けたとき、「それは、互助会のものである。君は互助会までも管理しに 来ているのではない」 と拒んだが、私の留守に米兵を連れてきて金庫を開けさせ、それをどこかへ持って行ってしまった。 当時の50万円といえば、300倍に計算しても今の1億5千万円である。李は、彼が雇い入れた 朝鮮人たちを使って、「日本人の幹部連は隠していた50万円を、それぞれ山分けして ふところに入れた」と宣伝させた。どの団体も、どの会社も多かれ少なかれ これに似た災難にあったのである。 中には帳尻が不明だというだけの理由で投獄されるものさえあった。自宅の畳の下や、 便所の上に2、3万円の金を隠していたということで拘引される者もあった。 本社の地方部長なども北緯38度線以北から南下する支局員たちの給料や解散手当てを預かっていたのを みんな取上げられてしまった。猜疑心の深い李は刑事を使ってまで私たちを脅迫した。 20代のその刑事は「きょうは、留置場入りの用意をして来るように」と家へ電話したこともあった http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1233978706/l50 「強制連行」証言「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」 323 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 20:06:58 ID:1k1gd3uZ 「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」 実は、いま出回っている「強制連行」証言を子細に見ると、そうした事情を裏付ける証言がいくつも見つかる。 以下は、「斡旋」の時期に渡航してきた人たちの証言であるが、当時の 「斡旋」によって渡航した人たちの事情がよく理解できる。 (いずれも引用は『百万人の身世 打鈴』から)。 例えば、姜壽煕という人は、昭和17年に面長(日本の村長にあたる)と駐在所の所長から「日本に行け」と言われて日本にやってきたのだが、こう述べている。 「目本は天国だと思っていました。村から日本に行った人が帰ってくると、洋服を着て中折れ帽子を被って革靴を履いているんです。親は親で、『うちの息子は日本から帰ってきて、革靴 を履いている』と自慢していました。…その頃は、朝鮮では村一番の金持ちの子どもでも革靴 など履けなかったのです。…ですから、『日本に行け』と言われたとき、そんなに抵抗感もな かったのです。」 また、李斗煥という人も同じ頃に「斡旋」を受けている。 「役所に呼び出されて『日本へ行ってくれ』と言われた。いやとも言えないしな。まあ正直いえば嬉しかったの。日本に来たくてもなかなか来られないんだから。韓国にあっても、仕事 ないし、百姓ぐらいだから。おれだけじゃなくして、日本に来たがってたの、大勢いたんだ」 〜 つまり、戦時動員と同時に、それを大きく上まわる大量の出稼ぎ的な渡航が並行的に存在していたのである。 動員が「強制連行」であれば、無理やり日本に「連行」される人たちと同じ日本 へ、自らが旅費を払って出稼ぎに行く人たちとが同じ船に乗り合わせていたということになる。 「強制連行」のイメージからすれば何とも奇妙な構図である。 (昭和14年3月「福岡県下在住朝鮮人の動向について」・『在日朝鮮人関係資料集成』第4巻) 人気ブログランキング投票へ |
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人生を楽しくする10の方法
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暇人短剣符 2009/11/28 14:05 |
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桜井誠氏の『反日韓国人撃退マニュアル』は、項目ごとに纏まって解説されているので読みやすく、内容も目から鱗で衝撃的、そして充実しているのでお勧めです。日本人全員に読んでほしい本です。 |
落武者 2009/11/23 13:29 |
あれは読みやすい本です。 |
エラ通信 2009/11/23 13:38 |
本日のアサヒの社説です。 |
すな 2009/11/23 18:18 |
朝日をはじめ反日メディアは、国民に刷り込みにかかってます。 |
エラ通信 2009/11/23 18:56 |
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