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zoom RSS 資料 阪神淡路大震災 1から10

<<   作成日時 : 2010/01/11 23:31   >>

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他の方のHPですが、今日、確認したら見れなくなっていたので、転載します。

http://www.aliceinwonderland.com/library/japanese_files/hanshin_earthquake1995.txt
記録 阪神大震災−1 前夜いつもの生活があった

 阪神大震災の前日から記録を始める−−。1995年1月16日。「成人の日」の振替休日である。日の出は午前7時5分、平均気温は平年並みの4.2度。休日らしい、いくぶん間のびした時間が過ぎていく。家族だんらんがあ
り、友人同士が語らい、繁華街はにぎわった。
 作家、黒岩重吾(70)は六甲山ろくにある兵庫県西宮市苦楽園4番町の自宅で、夕方から飛鳥時代の史料に目を通していた。しばし本を置き、書斎の窓の向こう、眼下に広がる市街地を眺めながら小説の構想を練る。午後11時を回っていた。 「小説現代」の新年号から始まった連載小説「天風の彩王―藤原不比等」の3回目の原稿執筆に午後から取り掛かっていた。風邪で体調は思わしくなかったが、締め切りが迫っている。厚手のセーターを着て、風邪薬を服用、原稿用紙4枚で万年筆が止まっていた。「ビデオでも見ようか」。階下に降り、居間のソファに。妻の秀子(68)は自室にいる。レミー・マルタンのグラスを傾けながら、米国映画「氷の微笑」を楽しんだ。見終わった時にはグラス3杯をあけていた。顔がほんのり赤らみ、実に心地いい。2階に上がり別の寝室にいる秀子に「おやすみ」と声をかけて、ベッドに潜り込んだ。
             
 6日ぶりに東京から戻ったタレントの間寛平(45)。正午から武庫川河川敷で朝日放送の深夜バラエティー番組「ナイトINナイト」の収録に臨んだ後、トレーニングウエアのまま兵庫県宝塚市売布1の自宅へ。出迎えた妻の光
代(37)に荷物を渡すと、自宅を飛び出し、10キロ走り込んだ。3月26日にロサンゼルスで開かれる「ディズニーランド・マラソン」に向けての練習だった。 家に戻ると高校1年の美代(16)と中学二年の慎太郎(13)が待っていた。「ごちそうでも食べよか。久しぶりやし」。近くの料理店に出かけ、てっちりを注文した。寛平はビールをぐいぐい飲み、ほろよい気分に。慎太郎に「どや、ギター、うまなったか。おれに歌作ってくれよ」
             
 衆議院議員の岡崎宏美(43)は知人の葬式に出た後、次の神戸市議選に出馬予定の後輩に「しっかり歩きなさい」と、靴をプレゼント。午後6時30分JR元町駅前にある護憲社会党事務所で、翌日に予定されていた山花貞夫・前社会党委員長らの会派離脱問題についてテレビインタビューを受けた。「山花さんは社会党をつぶす張本人です」語気強く述べた興奮が残ったまま、神戸市・ポートアイランドにあるマンション12階の自宅へ。 高校2年の長女章子(17)と中学3年の二女彩子(15)が、夕食の準備をしてくれていた。彩子は学年末試験が終わった後の連休とあってテレビを見ながらのんびり。「試験はどうだったの」「まあまあよ」。台所のテーブルにあったカボチャの煮付けを一口つまむ。まずまずの味。翌日の娘の弁当にと、ラップに包んで取り分けた。

 神戸韓国学園教師のチョン・ミンラク(42)は神戸市長田区神楽町、同学園4階の自室で雑誌社から依頼された「子供と遊び文化」の原稿を書きながらも落ち着かなかった。夕食の後、妻キム・ヘスク(37)が大事にしていた圧
力なべのプラスチック製のふたを壊してしまったことから、夫婦げんか。そのわだかまりが残っていた。ヘスクは午後11時気晴らしに大邱郊外に住む母親に国際電話。「コンガンアセヨ(元気にやってる?)」久しぶりの母親の言葉
に、モヤモヤも少し晴れてきた。
 丸紅に勤務する中国人女性の伍鳴(27)はそのころ、兵庫県西宮市甲子園口3の自宅から上海の父伍受天(55)に電話をかけていた。「春に設立する会社のことなんだけど……」。1992年4月、北京語、広東語、英語、日本
語、ドイツ語を話せる語学力を見込まれ中国籍の正社員として採用された。新設の繊維素材開発部の企画員に抜てきされたが独立を決意、3月に退職する予定だった。 昨年暮れに父が上海で設立した貿易会社と連携をとり「一緒に会社を大きくしよう」と夢見ていた。父との電話が済んだ後、友人と福井県にスキーに出かけていた中国古箏演奏家の妹、伍芳(22)のことが気になり、ポケットベルを鳴らした。妹は神戸の友人宅にいた。「こちらで泊まるから」
「わかった。じゃーね。おやすみ」 だれもが、いつも通りの明日が来ると信じていた。


記録 阪神大震災−2 明日のスケジュール信じ

 普通の明日が来るのを信じていたのは東京でも同じだった。 一月十六日、銀座・ソニービル前。鹿児島県指宿市の観光PRキャラバンが毎年、菜の花を携えやって来る。道行く人に花束を手渡すのは「ミス指宿」の松田比佐代(二二)と寿美真子(二三)だった。松田はホテル勤務、寿は市職員。昨年五月にミスに選ばれた。

 十二月半ば、指宿市では池田湖畔の計十四ヘクタールに三百六十万本もの菜の花が本土で最も早く咲く。キャンペーンは二十三回目だが、今年は重要な予定が入った。翌十七日、首相の村山富市(七〇)に菜の花を手渡す。

 新宿で握りずしを食べ、日本橋の茅場町パールホテルの部屋に戻った。松田と寿がベッドにもぐり込んだのは午後十時。「ちゃんと花束を渡さなきゃ」

 政界は慌ただしかった。十七日に新民主連合会長の山花貞夫(五八)ら二十四人が社会党執行部に会派離脱届を出す手はず。社会党が分裂の危機を迎えている。それをけん制するかのように、首相公邸は新党さきがけの幹部らが出入り。永田町のけん騒は翌日も続くはずだった。
                
 霞が関の官僚たちも思い思いの休日を過ごした。消防庁震災対策室課長補佐の篠崎優(四六)は、千葉市美浜区磯辺の自宅でゴロ寝。夜になって翌日の仕事を思い出した。十九日までに「北海道南西沖地震調査検討報告書」をまとめなければならない。ため息をついた。

 国土庁防災業務課長の大野慎一(四六)も千葉県鎌ヶ谷市東初富の自宅二階のベッドに寝転がり、午前零時までフランスの歴史書「地中海」全五巻のうち四巻を読んだ。五巻目は明日だ。

 長野県・野沢温泉スキー場の民宿「梅之屋」。神戸市児童館職員の佐々木純子(二九)はスキーのあと、馬刺しと山菜煮物で夕食をとった。バスに乗れば、明日は神戸だ。
                
 神戸は、百万ドルの夜景が光彩を放っていた。十五日のラグビー日本選手権でV7を果たした神戸製鋼メンバーは、東灘区の社宅や自宅で疲れをいやしていた。主将の細川隆弘(二七)、平尾誠二(三二)ら四人は翌夕、兵庫県知事、貝原俊民(六一)を訪ね優勝報告をする予定だった。

 神戸市長の笹山幸俊(七〇)は妻翠(六七)の酌で酒のロックを飲み、午後十一時ごろ眠りについた。翌日は朝から予算の査定が待っていた。東灘区御影の市企画調整局長、山下彰啓(五四)は、布団の中で翌日の総事業費千百億円をかけたレジャーワールドプロジェクト発表の下準備をしていた。

 サンテレビアナウンサーの藤村徹(四一)は三宮のパブで飲んだ後、午前零時過ぎ、ポートアイランドのマンションに帰った。十七日は午後から大阪市内で映画試写会の司会をやる。「朝はゆっくりできるな」と、録画していたテレ
ビドラマ「家なき子総集編」を見はじめた。

 だれにも明日のスケジュールがあった。 神戸大工学部教授の室崎益輝(五〇)は十七日から三日間、大阪市の大阪国際交流センターで開かれる第四回日米都市防災会議で、会議を仕切らねばならない。十六日は風邪で熱があったが、午後三時過ぎに京都市左京区の自宅から大阪に向かった。都市防災学を専門にする室崎にとって、今年最初の大きな仕事だ。

 米カリフォルニア州立大教授のグナ・セルバドゥレイ教授らと上六の小料理屋へ。石狩なべをつつきながら、地震の話題に移った。「最近、北海道から東北へ下がってきている。ひょっとしたら、次は関西辺り……」。思わず強く首
を振った。



3 動物たちは異変訴えた


 明石市の南西約三キロの明石海峡。冷たい風が、小さなタコ釣り船を通り抜けていく。十六日午前十時、黒いジャンパーを着込んだ東明石浦漁協の漁師砂川義雄(六九)は、深い緑がかった水面からタコつぼを引き揚げようとして、この日何度目かの舌打ちをした。

 タコを釣るには、タコつぼを動かしてはいけない。そろりと引き揚げるのがポイントである。だが、つぼとつぼの間のロープが張り詰めている状態が前日から続いていた。底引き網を引いているような手ごたえなのである。当然、漁
にはならない。

 ロープには、十分ゆとりを持たしていた。海底が動くはずなどないのに−−。たまに入っているタコつぼでは、オスとメスがまるで抱き合っているようにしている。産卵期でもないのに、オスとメスが同じつぼに入るなど奇妙な現
象だった。「海が狂うとう」。五十年間の漁師生活でも初めての出来事だった。背筋が震えた。
                
 神戸市須磨区の須磨海浜水族園。午後三時三十分からのイルカショーを前に、イルカライブ館は約千八百人の観客で満席だった。ブルーのジャージーを着たイルカトレーナー滝導博(二九)は、控えプールから冬のさえた陽光にき
らめくショープールにオス二頭とメス一頭を移した。

 滝は、ギリシャ女神の衣装を着たドルフィーヌ吉田妃代江(二七)とともに舞台へ上がり、三頭のイルカにスタンバイの合図を送った。三頭が尾びれを使って水面に立ち、観客に胸びれを振ってあいさつをするはずだった。

 ところが、メスが勝手に泳ぎ始め、プールサイドに身を乗り上げようとする。ソワソワして落ち着きがない。メスは和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲され、推定年齢九歳。七頭のイルカのなかでは、もっとも繊細でイタズラ好き
だった。

 観客二人との握手でも、メスだけが寄り付かない。観客に水をはね飛ばす有り様だ。観客にシンバルを鳴らしてもらい前方宙返り、トライアングルの合図で回転しながら尾びれで水面歩行、タンバリンでは立ち泳ぎ。こんな見せ場でも、メスだけが演技をしない。

 何度も何度も滝の足元にすり寄り、まるで水中から逃げるかのようにプールサイドに身を乗り上げる。こんなことは、ショー始まって以来だった。二頭のオスにもメスの行動が伝染した。トレーナーの一人久保信隆(二八)が、シ
シャモとサンマのエサを持ちプールサイドに駆け寄る。メスだけを分けようとしたが失敗し、結局、二十五分間のショーは混乱に終始した。

 岐阜大農学部獣医学科を出て、三年前からトレーナーを務める滝にとっても初めての体験だった。イルカの聴覚は人間よりはるかに優れている。水中を伝わる何か異常な振動をいち早く、キャッチしていたのか。
                
 このころ、建設中の明石大橋の淡路島側ケーソン付近でも異常が発生していた。東明石浦漁協の岩瀬嗣夫(五一)は「海水が広い範囲で濁り、小魚の死がいがあちこちに浮かび上がった。ふだんは中層域にすむコノシロが、海面すれすれを泳いでいた」と証言する。

 淡路島・北淡町のカントリーメイツ牧場(上野勝生支配人)。和牛百頭をはじめ、ラクダ、ヤギ、シカ、羊など約二百種類の動物がいる観光牧場だ。従業員の悩みは、倉庫に保管している動物の飼料を狙ってやってくるネズミのフン
の後始末だった。一週間に一度掃除すると、ちり取りに山盛り二杯分にもなる。ところが、この一週間はほとんどフンがなかった。ネズミの姿が消えていた。

 大阪市内の公園では、かつてないムクドリの大群が木々で叫び声をあげ、神戸市東灘区では夜になって犬がほえ、猫が鳴き続けた。動物たちは必死で何かを訴えようとしていた。だが、都会生活に慣れた人間には届かなかった。

 この日午後六時二十八分、神戸で震度1(微震)の地震があった。震源は淡路島北東の明石海峡、深さは十五キロ。


4 夜は静かに明け始めていた


 一月十七日午前五時。日本海に低気圧が発生、関西上空は薄雲に覆われていた。夜明け前の静寂のなか、眠りから覚めた人々が各地で動きだした。 阪神電鉄の運転士鶴田和宏(二七)は、尼崎発下り始発普通電車を運転して西宮市・香櫨園駅を出たばかり。長男雄大(三つ)が数日前から風邪気味だった。「勤務を終えたら早く帰ろう」

 五時十分、大阪府四条畷市で、日本タクシー運転手の浦井浩一(五二)は出張する男性客を乗せた。「大阪空港へ」。まだ、ヘッドライトをつけている。 十七分、神戸市西方を走る山陽電鉄の運転士畝本忠則(四九)は、明石市・
東二見駅から車掌の早川邦彦(二二)と特急に乗り込み発車。ダイヤ通りなら、三宮には五十四分に着くはずだ。

 十九分、大阪市淀川区のJR西日本宮原電車区から回送電車「スーパー雷鳥一号」が出る。運転士中島康正(三三)は青信号を確認、鷹取駅に向かった。       
 二十六分、十四夜の月が満月にかわった。

 三十分、西宮市消防局から鳴尾消防署に「乳児が急病」との出動命令が入った。救急隊長の中村真一(三六)は勤務についた前日朝から計九回出動、その報告書をまとめていた。「よぉー、ついてるなぁ」と苦笑い。隊員二人と救急車に乗り、六百メートル南の公団武庫川団地へ。患者は、けいれんを起こした一歳の女の赤ちゃんだった。阪神高速道路神戸線・芦屋料金所班長の福井幸夫(六三)が、ブースわきの仮眠所で目を覚ました。あくびしながら電気ポットで湯を沸かす。

 三十五分、料金所下の国道四三号線では六甲アイランドを目指すトラック運転手山本朗(三四)が、神戸市東灘区深江本町を走っていた。トラック仲間と無線で交信、「久しぶりやな。ほかの連中は元気か。こっちは海上コンテナを積んでから、東大阪行きや」。三年前に無線免許を取得して以来、運転中の楽しみになった。

 四十分、約十五キロ西の長田区名倉町で、菊水タクシーの運転手奥憲一(四四)は五十代の会社員を乗せた。吐く息が白い。「新神戸駅まで」「寒いですねぇ。出張ですか」

 貝原俊民知事(六一)専属の秘書課員大西力(五八)は明石市の自宅で目覚めた。三十分早めに登庁、公用車の整備をするつもりだ。
                
 四十二分、帝産観光バスが阪神高速神戸線の武庫川を渡り、西宮市に入った。運転手は京都支店の福本良夫(五二)。前夜、長野県野沢温泉スキー場を出発、四十人の客を京都、梅田で降ろし、神戸市の児童館職員佐々木純子(二九)ら二十代の女性客三人を乗せてJR三ノ宮駅に向かう。

 四十三分、JR東海道、JR山陽線の神戸―西明石間、JR福知山線の尼崎―新三田間、阪急の神戸、宝塚、今津、甲陽、伊丹、箕面各線、阪神の本線、西大阪線、山陽電鉄本線、神戸市営地下鉄、北神急行、神戸新交通ポートアイランド、六甲アイランド線、神戸高速鉄道の東西線、神戸電鉄の有馬、三田、粟生線−−。回送、貨物を含む計百十九本の電車が線路上にあり、乗客は合わせて五千四人。

 阪神高速神戸線、五号湾岸線にはトラックなど大型車百台、乗用車百六十三台が走る。四十の料金所で百四十八人の係員が勤務中だ。

 大阪市内を十台の救急車が走っている。大阪府警は百四十台のパトカーで警ら中。目立った交通事故も事件も火事もない。

 四十四分、JR新大阪駅には、約七百人の予約が入った東京行き「ひかり二〇〇号」など上下四本が停車中。ホームで約六十人が乗車を待っている。

 神戸市東灘区本山の保久良山では、猿丸義成宮司(六四)ら信者約五百人が早朝登山の後、保久良神社の絵馬堂に立ち寄り、記帳。市内ではジョギングや、犬の散歩をする人のそばを二台の救急車がサイレンを鳴らして走り抜けた。

 東北東の風四メートル、街路樹がざわめく。気温三・四度。西の雲間に、赤く鈍い光を照らす満月。時計の針は、午前五時四十五分にかかろうとしていた。


5 空に閃光 激震が走った

 海は穏やかだった。航海も快適だった。一月十七日午前五時四十五分、神戸市東灘区の沖一・二キロに浮かぶ六甲アイランドのフェリー埠頭(ふとう)第一バースに、松山経由で到着したばかりのダイヤモンドフェリー所属の「フェリーダイヤモンド号」(九、〇二三トン)。連絡橋を渡る一般乗客七十人の足取りも軽かった。車両百五十五台の運転席にはドライバーが座り、船尾やサイドランプから次々に降ろされていく。「ちょっと早かったな」。船長室で伊田
照夫(四九)は、航海日誌に「定刻より五分早く到着」と記入していた。

 そのころ、僚船の「クィーンダイヤモンド号」(同)は明石海峡航路の2号ブイを通過、明石海峡大橋の下をくぐり3号ブイとの中間付近にいた。 北西に位置する明石市立天文科学館の上空を青白い閃光(せんこう)が走った。ふ
だんは見えない明石海峡大橋のケーブルが、シルエットとして浮かび上がるほどの光量だ。デッキからその光を見た船長の新村成敏(四九)は、自分の目を疑った。何が起こったのだ。
                 
 「フェリーダイヤモンド号」では四十六分、「ドーン」という大砲を放ったような音と衝撃が船体を襲った。船底を突き上げるようなうねりが船尾から来た。直後の横揺れで船と旅客ターミナルを結ぶ橋の連結部分が斜めに傾き、
デッキからはずれた。最後の乗客が渡り切ったのはわずか四、五秒前だった。車を渡すための可動橋も三十五台が渡り終えたところで、海中にはね落とされた。

 伊田は、止めたはずのエンジンが全速力で回り出し、船尾から岸壁に乗り上げると思った。船長室を飛び出し、ブリッジに駆け込んだ。計器を確認しようとしたら、海面から高さ二十一メートルもある窓の外で、神戸の街が大きく揺
れていた。

 南側にあるフェリーターミナルは次々に明かりが消えていく。水道管も破裂、水を噴き上げ始めた。眼下に広がる埠頭にはヒビが大きく走り、水銀灯は倒れ、駐車場のアスファルトが一メートル以上も陥没、乗船を待つトレーラー
の荷台部分がつんのめるようにくぼみに落ちた。

 対岸の阪神高速湾岸線の高架路面も波を打った。昨年四月二日に開通、ライトアップされ白い優雅な姿で神戸港の新しいランドマークになった斜張橋「東神戸大橋」(全長八百八十五メートル)が、闇(やみ)に吸い込まれた。大阪まで途切れることのないナトリウム灯もムチのようにしなり、瞬時に消えた。P&G本社ビルの非常用電源にバックアップされた避難誘導灯が光っているのが、妙に印象に残った。
                 
 六甲山のふもとから海岸まで百万ドルの夜景を演出する光が、輝きを失っていく。フェリーの南西一・五キロ、四十階建て(高さ百三十八メートル)と六甲アイランドで最も高いマンション「イーストコースト三番街」がきしみ、音を立てながらしなっている。さらに西の三宮付近では、高さ百三十二メートルの神戸市役所や百五十八メートルの新神戸オリエンタルホテルも揺れていた。まるでゴジラが建物を引っ張ったり振り回したりしているような揺れだ。神戸
の大パノラマは、その様相をすっかり変えていた。

 明石海峡を航行していた「クィーンダイヤモンド号」も、突き上げられた。大きな波に翻弄(ほんろう)された瞬間、海面で船底をたたくウオーターハンマーより数倍も激しい衝撃に襲われた。

 営業係長の野口郁雄(四〇)や乗客が衝突、座礁を直感し、悲鳴とともに跳び起きた。新村は「車両甲板で爆発だ。エンジンストップ」と、ブリッジの二等航海士に叫んだ。右舷に走った。火災の有無を確認するためだ。

 新村には苦い思い出があった。四年前の五月の連休中、大分行きの同じ船で爆破予告があった。船に無線連絡があったのも、同航路のほぼ同じ地点。運搬中の自衛隊車両に対する嫌がらせだった。だからその瞬間爆発を予測した。だが、どこにも爆発も火災もなかった。

 のちに兵庫県南部地震、一般に阪神大震災と呼ばれる大地震の始まりだ。


6 関空へ降下中「地震発生」


 一月十七日午前五時四十七分、バリ発ジャカルタ経由の日本アジア航空222便(DC10、JA8532)は、南から関西国際空港に近付いていた。乗員、乗客合わせて百四十九人。乗客の八割はバリ島観光客、二割がジャカルタから乗り込んだ商社マンたちだった。出発時に病人の搬入などで十五分遅れ、その遅れをひきずっていた。

 関空まで約三十キロ。時速三百七十キロ、高度五千フィート(千五百メートル)からランウエー「06」(ゼロシックス)へ降下中。ILS(計器着陸装置)の電波をつかみ、機長の坂本和信(四〇)はフラップを十五度下げようとした。

 その瞬間、地上管制官の緊迫した声がレシーバーに響いた。「ウイハブ・ア・ビッグアースクエイク」。空へ届いた地震の第一報である。坂本と副操縦士、フライトエンジニアの三人が顔を見合わす。「アースクエイクって、地震でしたよね」。副操縦士が念を押した。

 坂本はうなずきながら、管制官のあわてぶりを思った。通常の交信は英語が義務付けられているが、火山爆発や地震など天変地異には、勘違いが起こらないよう日本語を使用するのが通例。非常時での英語交信は、その分だけ地上の混乱ぶりを伝えたように聞こえた。

 乗務員はコックピットからの「高度一万フィート」の合図をきっかけに忙しくなっていた。眠っていた乗客も降りる準備を始める。スチュワーデスの渡辺陽子(二三)らが乗客の座席の背もたれを起こし、シートベルトを確認していく。後片付けも終わった。乗務員もジャンプシートに腰掛け、着陸を待った。コックピットの緊迫した動きとは対照的に、キャビンのクルーにはホッとした雰囲気が広がっていく。

 管制官からは矢継ぎ早に指示が届く。「友(とも)VOR(無線標識)の十八キロ南にあるピーチポイント上空六千フィート(千八百メートル)で、空中待機せよ」。坂本機長は指示に従いながら、燃料計を見た。関西国際空港の代替、名古屋空港へ行ってもなお、四十分間の飛行が可能だった。名古屋も震度3との情報が入った。名古屋がダメでも成田空港にも十分行ける。                
 地上では一番機の到着準備に追われていた。関空会社運用管理部員の西川武利(二五)は黄色のランドクルーザー「オペレーション5」に乗り、北側中央部の管理棟駐車場を出発。滑走路を北側の「24」から南側の「06」に向
け、時速四十キロで車を走らせた。

 一番機到着前に滑走路の状況、ヒビ割れ、表面の異常、誘導路灯の球切れなどのチェックが必要だった。所要時間は約一時間。西の空では、満月が赤い色を放って輝いていた。

 西川が滑走路の点検を終え、エプロンから誘導路に入った時、車がガクンと前後に四、五回揺すられた。ギアを三速から二速に落としたところだ。「久しぶりにノッキングしたな」。舌打ち。マイカーがオートマチックのため、仕事
に使うランドクルーザーでは以前、よくノッキングを起こしていた。その瞬間、無線が鳴った。

 「地震発生。滑走路を再点検せよ」。管理棟三階の運用管理室主任、新田好正(三三)の声が上ずっている。マニュアルによると、震度4以上の場合、すぐに滑走路チェックを行う。「ヒビが入っていたら大変だ。間もなく一番機が
到着する」。西川は車を引き返した。新田も部下の直木正佳(二五)とともに別の車に飛び乗り、滑走路へ急いだ。

 滑走路の点検が終わって、空中待機の222便に着陸許可が出たのは十六分後。コックピットの左の窓に、薄曇りにかすんだ神戸が見えた。「ジャカルタの急患に救われた」。坂本は機首を空港に向け操縦かんを押し、機体を下げ
た。十五分遅れなかったら、地震発生時刻に空港に突っ込んでいた。


7 ぼう然 阪神高速が落ちた

 関西国際空港へ向かう日本アジア航空222便のコックピットから見た神戸、大阪は薄雲の下にあった。そのころ、一月十七日午前五時四十六分、神戸を南西から北東へ突き上げる衝撃が活断層に沿って走り抜けた。何度も繰り返す揺れの中で高速道路が、ビルが、そして人が波打ち、きしみ、身を硬くしていた。

 神戸市東灘区深江本町二、阪神高速道路神戸線北側の六階建てビル。五階の自宅寝室ベッドで目覚めていた建設業平岡満幸(五三)は、強い横揺れと音で跳び起きた。縦揺れが続く。とても立っていられない。タンスが飛んできた。「もうアカン。ビルが倒れる」。布団をかぶっていた妻孝子(五三)に叫んだ。

 最初の揺れがおさまった。置き時計は五時四十八分。階下の孫二人が気になり、パジャマ姿、素足で屋外階段の踊り場に飛び出した。下りようとした瞬間、背後で大音響が。振り向くと、信じられない光景があった。

 コンクリートの高速道路が、中央線を見せるようにして横倒しになっていく。衝撃で体が浮き上がる。スローモーション映画を見ているようだ。砂じんが舞い上がり、クラクションが鳴る。ぐにゃりと曲がった道路の中央分離帯に二台の車が引っ掛かっている。倒壊を免れたやや西側の高速道路では車数台のヘッドライトが光っていた。

 「高速が落ちてもうた」。無我夢中で一階へ。目の前に高さ二十メートル、長さ約三十五メートル、厚さ一・八メートル、千三百トンもあるコンクリートの壁が迫っていた。それが十八ブロック分、六百三十五メートルにわたって東側に続く。

 数台の車が高速道路に押しつぶされている。宙づりの乗用車から男性がはい出し、傾いた道路を滑ってきた。植木の間に血だらけの男性三人がしゃがむ。「こんなこと起きてええんやろか」。小柄な体を震わせた。
                  
 東二・七キロの阪神高速・芦屋料金所の下り第一ブース。仮眠から目覚め、コーヒーを飲もうとした班長の福井幸夫(六三)は、強い力にカップを飛ばされた。同僚三人と床にはう。釣り銭が頭の上に降り注いできた。 

 外に出ると、他のブースの係員十四人がぼう然と立っている。約二十台の車のドライバーは身をかがめている。道路は波打ち、あちこちで陥没。「東灘区の深江で高速道路が落ちたぞ」「みんな無事やろか」。同僚と歩いて転落現場へ急ぐ。途中、即死状態のトラック運転手が車外に投げ出されていた。「手を合わそうや」。足が重くなった。
                  
 神戸線下の国道四三号線でトレーラーけん引車を運転、六甲アイランドに向かう山本朗(三四)。東灘区住吉浜町の六甲大橋に入る直前、ハンドルに異常な重みを受けた。とっさにブレーキを踏む。五分前まで無線交信していたト
ラック仲間に「今の何やった」。応答はなかった。橋には二十センチの段差ができていた。「行けるかな」。直径一・二メートルのタイヤをそろりと動かす。ガクンと衝撃が車体に伝わり、体が跳ねる。時速十キロで大橋を渡る。六甲ライナー(複線)は橋げたがずり落ち、人工島は泥水に覆われていた。

 車庫で長さ六メートルの台車をつなぎ、重さ十トンのコンテナを積んで再び橋へ。段差で台車が大きく傾く。やっとのことで四三号線へ。家屋倒壊、高速道路の落下が次々と目に入る。「仕事どころとちゃう」。宝塚市の自宅には妻
法子(三三)と中学一年の梨絵(一三)、小学五年の絵美奈(一一)、同二年の惇也(八つ)がいる。一刻も早く帰ろう。コンテナをそこに投げ出しても良かった。だが、客のコンテナを捨てるわけにはいかない。山本は家とは逆方
向、段差の広がった危険な橋に向かって、もう一度ハンドルを切った。


8 道路がない「非常扉へ急げ」
 高速道路の倒壊、陥没はあちこちで起きていた。野沢温泉スキー場から神戸に向かう帝産観光バスは、高架が横倒しになった東灘区深江本町から東へ三・四キロの阪神高速道路神戸線、西宮市本町に差し掛かった。神戸市の児童館職員佐々木純子(二九)は四列目の右窓側、同僚の小林利江(二六)は左窓側、小林の後ろに木田亜紀(二七)がいた。窓から中央分離帯のナトリウム灯の光が入る。間もなく三宮だ。

 突然、白いせん光が地の底から走った。運転手の福本良夫(五一)は、目を疑った。次の瞬間、ナトリウム灯が一斉に消え、バスのヘッドライトが懐中電灯を回すような弧を描く。ハンドルが引っ張られ、車輪が不規則にバウンドす
る。バスの屋根に積もった雪が崩れ落ちる。

                  
 これ以上の運転は危険だ。フットブレーキを一杯に踏んだ。エアとオイルを併用した「エアオーバーハイドロリック式全輪制動ブレーキ」。六十キロの速度なら二十二メートル以内で停止する。だが、なかなか利かない。車の底が波
打つ路面にぶつかり、衝撃が運転席に伝わる。バスが止まった瞬間、前輪が急に軽くなった。

 運転席の隣にいた交代運転手の安井義政(三三)が「高速道が消えた」と叫んだ。バスは運転席と前輪部二メートルが宙に浮いた状態で道路端に引っ掛かっていた。

 対向車線を走ってきた白い乗用車がスーッと、暗やみの中に落ちていく。無声映画の世界だ。深い地の底から車の炎が噴き上げる。熱い風と真っ黒な煙がバスの車体を包み、少し開いた運転席の窓から入ってくる。

 安井が「非常扉へ」と後ろを指さした。三人の女性はとっさに事故だと思った。木田が「はよ、降りよ」とベージュ色のマウンテンパーカーをはおった。外を見た佐々木の顔から血の気が引いた。事故より大きな何かが起きたのだ。

 佐々木と木田は座席に置いたスポーツバッグを持ったが、小林の荷物はバスの格納庫に入れたままだった。無言で顔を見合わせ非常扉へ急いだ。安井が非常扉のカバーをはずし、ドアを開けた。

 福本は運転席に残った。動くと落ちるかもしれない。小林が「おっちゃん、はよ」。その言葉に励まされるように福本は、運転席をそっと立った。床に足をこすりつけるようにして運転席から後退し始めた。客席の手すりをつかんだ。一列、二列と数えながら、進む。九列目の手すりに左手がかかった。非常扉まであと一つ。外の四人を確認して飛び出した。

 ふだんは堅ろうな構造物である高速道路も、一部が落ちてしまうと不安定な姿をさらした。断がい絶壁に立たされているような恐ろしさで足がすくむ。 そこへ、震度4の余震。高架橋が揺れた。道路にしゃがみ込んでいた小林が
立ち上がり、炎に向かって夢遊病者のように歩きだした。四人は大声で呼び止めた。

                  
 危機や混乱に際して、人間は常識はずれの行動をとることがある。車外にいったん逃れた福本と安井は再び、落下寸前のバスに近づいた。小林がすごく愛着を持っているスキー用具「ロッシニョール」を車体下部にある格納庫から回収するためだ。二人はロック解除ボタンを押してカバーを持ち上げた。

 バスの宙づり部分からわずか二メートル。いつ余震が来るかわからない。福本は腰をかがめ、上半身を格納庫にもぐり込ませた。もう一度余震が来たら、車体もろとも十一メートル下に転落するだろう。安井が福本のベルトに手を添える。福本の手がスキー板に届いた。それを手渡すと、福本は「安全な場所へ逃げろ。わしらはバスの様子をもう少し見る。先に行って」と急がせた。 この時、福本も女性客も自分たちの乗ったバスが後に、阪神大震災を象徴す
る場面としてワシントン・ポストの一面を飾り、世界中に報道されることをもちろん知るよしもなかった。



9 「ひかり」発車直前、高架落下

 JR新大阪駅で発車を目前に控えた四本の新幹線のドアが開き、約六十人の乗客が車内に入り始めた。一月十七日午前五時四十五分。単身赴任中の会社員前田幸彦(五三)は北九州市の職場に戻るため二十番線に停車していた博多行き「ひかり一三一号」(十二両編成)の十一号車へ。発車まで十五分。車内には十人ほどの乗客がいた。熱いせん茶を買おうと、ホームに出た。自動販売機に硬貨を入れた時、ホームが揺れた。自動販売機が倒れ、公衆電話が飛んだ。前田はH鋼の柱にしがみついた。

 非常灯がともった。車体はまだ左右に動いている。ほかの三本の新幹線も同じだ。係員がマイクで、「二階に下りてください」。コンコースはホコリが充満、数百人がせき込み、ざわつく。「運行再開のメドが立ちません」。駅員が叫んでいた。

                  
 新大阪駅から西十五・六キロ。西宮市松籟荘の電器店「サダデンキ」二階で、経営者佐田知一(五三)の妻さだこ(四七)は床が持ち上がる感触で目覚めた。タンス、鏡台が両足、腰を直撃。もがいて抜け出すと、パジャマ姿のま
ま階下の店内へ下り、シャッターを開けた。 目の前の山陽新幹線の高架橋が、滑り台のような格好で阪急今津線の線路をふさいでいた。長さ三十一メートル、重さ八百トンのコンクリートの塊。十五メートル上の架線や送電線が切れ、青や赤の稲妻が空中に飛び散る。無数のバラストがすべり落ちてくる。

 ここだけではない。山陽新幹線の六甲トンネル東側を中心に八か所で、高架橋が落下。絶対にあってはならないことが起きていた。地震発生がもう少しずれ込んでいたら、「ひかり一三一号」は落下地点に突っ込んでいたはずだ。直接の人的被害はなかったが、この恐ろしい想定を忘れてはならない。

 巨大な地震のエネルギーを地下で感じていた人もいた。 畝本忠則(四九)が運転する山陽電鉄の東二見発・阪急三宮行き特急(六両)は、乗り入れしている神戸高速鉄道東西線・大開駅を通過、プラットホームから九十メートル過ぎた。時速五十八キロ。床がバウンドし、ライトが消えた。百三十メートル走り停車した。すぐに非常用自家発電装置が作動。無線で指令本部の指示をあおいだ。「地震だ。乗客を誘導せよ」。乗客三十人は無事。畝本は車掌早川邦彦(22)と大開駅への誘導を決めた。

 ドアを開けて、乗客を降ろす。トンネル内にもかすかな非常灯。パニックは起こらなかった。一両目と二両目の計六つの車輪が脱線していた。懐中電灯を持った早川が乗客の先頭に立ち、畝本は最後に続いた。

 大開駅へ着いた。上下線の間のコンクリート柱四十本は押しつぶされ、厚さ五十センチのコンクリート天井が百二十メートルにわたり垂れ下がるなか、すき間を縫うように地上に出た。列車の長さは計百十四メートル。地震発生時、最後尾はまだ駅の中。「もし十秒遅れていたら」。畝本と早川はこわばった顔を見合わせた。地下は地震に強いという通説が、コンクリート天井とともに崩壊した。

                  
 地下にある阪神電鉄の春日野道駅。新開地発・梅田行き普通電車(四両)の運転士鶴田和宏(27)は右側へ飛ばされた。乗客が降り始めた時だった。すさまじい縦揺れ、横揺れ。車体がホームと壁のコンクリートを削り取った。外に飛び出し、「けが人は」と叫ぶ。七十代近い男性が額から血を流していた。ハンカチを取り出し、手渡した。

 JRの神戸発富山行き「スーパー雷鳥一号」を、鷹取駅まで回送中の中島康正(三三)は、住吉駅で「シュプール白馬・栂池六号」を追い越した。時速九十キロ。西明石発京都行き普通電車とすれ違った。

 「あっ、置き石」と感じた。腰が浮いた。三ノ宮駅七百メートル手前で停止。懐中電灯を取り出し、運転席のドアから線路に飛び降りた。十両の車両が波打ち、うち八両が脱線。百メートル後ろには普通電車。その向こうにシュプール六号が脱線、無残な姿をさらしていた。

 列島の動脈が地上で地下で高架でズタズタに切断されていた。もし通勤時間帯だったら。                         


10 「異常事態 全域で同時多発」


 下から突き上げるような直下型地震の激しい波は、活動中の救急隊員にも襲いかかった。

 西宮市鳴尾消防署救急隊長の中村真一(三六)は公団武庫川団地から、けいれんを起こした一歳の女児と母親を救急車に乗せ西四キロ離れた西宮回生病院を目指した。二十代の母親は心配そうに、赤ちゃんを見つめる。

 団地から五百メートル走った。前方が白く光り、強い横揺れ。運転席の隊員和田亨明(二三)がブレーキを踏み、路肩に停車した。パンクしたのかと思ったが、まだ車体はガクガクと揺れている。後部席の隊員森口徹(二三)が、母親と赤ちゃんに覆いかぶさるようにしてかばっていた。

 無線機から雑音に混じり、「どうしたんや」「アカン」。慌ただしい声が、どなり声が飛び出してくる。中村が本部管制室に連絡したが、応答はない。

                
 「どうしますか」。中村が母親に尋ねると、「ぜひ病院へ」。いたる所で道路が陥没。二・五キロ先の東長五郎橋に差し掛かったが、五十センチの段差で通行は不可能。住民が駆け寄ってきた。「ガスのにおいがする。通報して下さ
い」

 再び、無線のマイクを握った。つながった。しかし、管制室からは「管制機能果たせず。現場で対応を」。現場の情報は司令塔に上がらず、中央のコントロールが行われないまま救助組織は機能マヒに陥っていた。中村は「家で様子を見て下さい。熱が下がれば大丈夫」。昨春、救急救命士の資格を取った中村の言葉に母親は納得した。

 母親と赤ちゃんをすぐ自宅に届けた。「署に戻ろう」。救急車を発進させようとしたが、動かない。液状化で道路の亀裂からあふれ出た泥水に前輪が埋まっていた。トラックにけん引してもらい、やっと脱出できた。

 鳴尾消防署では、受付員一人が電話の応対に追われていた。当直明け九人と地震発生後に駆け付けた署員数人は三台の消防車に分乗し、出払っていた。中村らは黄色の防火衣とヘルメット、長靴を着用し、北二キロの甲子園一番町の家屋倒壊現場へ急行した。長い一日が始まった。

                
 西宮警察署の地域課巡査辻本雅則(二九)は窃盗事件の処理を終えて西宮北口西交番を出発、西宮市高松町の山手幹線を百二十五CCのバイクで巡回中だった。時速四十キロ、突然、バイクが蛇行。「あ、パンクだ」。急停車。タイヤを確認しようとしたが、激しい横揺れ。急いで左端に寄せ、スタンドを立てようとすると、東の空が見たことのない青紫色。何だろうと思った瞬間、街灯やコンビニの電気が一瞬に消えた。

 後ろを振り返ると、五十メートル先に大きな黒い塊があった。西行きの車のヘッドライトに照らされたのは、たった今、くぐったばかりの名神高速道路上り線の橋げただった。ヘッドライトをつけた車が二台、高架道路から落ちて来
た。

 「至急、至急、西宮123から西宮。名神が落下。車も落ちた」。辻本は無線にどなった。

 西宮123の呼び掛けは、署には十分届いていたが、受ける側はそれどころではなかった。当直の地域第二課長小川勝(五一)は、一斉に鳴りだした署活系無線機の緊急交信に耳を疑った。「家屋倒壊、住民生き埋めの模様」「道路崩落、車両横転しドライバー車内にあり」「ビルが傾き非常ベル鳴りやまず」

 どれもが緊急連絡で、しかも応援を求めている。

 小川は「全域で異常事態、同時多発中。応援要請にはこたえられず。各自、市民と協力して人命救助に全力を挙げよ」と指示すると、県警本部への専用線を取り上げた。

 この時、何が起きているかを冷静に判断することなど、現場の消防、警察には、とうてい無理な状況だった。

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中国をはじめとする特亜3国が武力行使をすることなく、日本解体(日本侵略)が容易に可能となる売国法案、「外国人地方参政権付与法案」に関して、いよいよ東京都神社庁が動き出した。 ...続きを見る
風林火山
2010/01/13 17:41

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
遅ればせながら、あけましておめでとうございますm(._.)m
当日のことは覚えてますが、前日に何をしていたのか、今ではさっぱり思い出せません。
当時住んでいたのは大阪郊外の団地群でしたが、地震の後も特に目立った変化は無かった所でした。
それでも東京に住んでいた時にも経験したことのない相当に大きな地震であったとことは確かだと思い、TVをつけたけれども、1時間2時間経ってもマスコミは何の情報も流さない。
在京のテレビ局はのんびりと普通に朝の番組を続けているような状態でした。
恐らくは関西からの情報がきっぱりと切れてしまった状態だったのだろうとおもいますが、8時から始まるワイドショーの途中でやっと一報が入ってくるような状態でした。
あの頃は今ほどネットが各家庭に入り込んでおらず、テレビ待ちでした。
今ならもう携帯でのネット検索も出来るので、もう少し情報の手に入れ方に違いが出てくるのでしょうね。
tonton
2010/01/13 20:21
tontonさん、ありがとうございます。
私も当日、仕事していましたが、東海道新幹線が不通になっているという情報がはいってきて、倒木程度だとおもってました。
その夜、街中に巨大な建造物群が出現しており、それが横倒しになった高速道路だと知って
おどろいておりました。

このかたのHPは、非常にリアルで資料価値がたかいのですが、いかんせん、分量が・・・・・

上述の20倍はあり、書式を修正してUPするだけでも大変です。

エラ通信
2010/01/14 06:50

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